Playing by heart

駅前から続く整然と植えられた菩提樹の並木を抜けると、緑はぐっと深くなった。


息抜きをしようとやってきたのは、市内の中心部にあるティーアガルデン。緑多き街ベルリンを印象強く付けているこの公園は、ベルリンの人々が休日を過ごす憩いの場所だ。いつも利用しているツオー駅の前からブランデンブルグ門へと、シュプレー川沿いに広がる美しく広大な森は東西約3qにも渡る。


どこまでも平らな森の中に2〜3メートル幅の整備された歩道が縦横に走り、所々に置かれたベンチ。
そのベンチで休む人、芝生に寝そべり日光浴をする人、俺と同じように散策をする人・・・と皆が思いおもいに休日を過ごしている。公園内の至る所にある偉人達の像を横目に見ながらのんびりと散策していると、溢れる緑と差し込む木漏れ日を受け、大都市とは思えないほどの心地よさを感じた。


ドイツは秋が一番美しいと思う。秋の風を受けて所々黄金色に変化しつつある森が、実りある収穫と輝く季節の訪れを告げている。全てが染まったその輝きは、公園の中心にある黄金の女神像“ジーゲスゾイレ(戦勝記念塔)”が霞んでしまうほどかもしれない。


柔らかく敷き積もった落ち葉の道を、一歩一歩踏みしめるように歩く。
いわゆる森林浴というものなのだろうか。
こんなにくつろいだ気持ちで、休日を迎えるのは久しぶりな気がする。ここ最近は休みの日でもどこか自分の中から音楽が離れず、何かに追われているように練習に没頭する日が多かったから。
それに・・・ゆっくりと、のんびりと周りを見ながら歩くのは、恐らくドイツに来てから初めてではないだろうか。


隣に君がいた時には、いつもこれくらいの早さだった気がする。共にいて心地よい・・・二人で歩く速さ。
ふと思った・・・一体いつの間に、歩みが早くなってしまったのだろうかと。以前は当たり前だったものが、今はゆっくりだと違和感を感じてしまうほどに・・・。
こちらに来てからは一人だった事もあり、周りの勢いある流れや治安の事、そして自分の焦りが生み出す心のままに、自然と歩みが早まってしまったのかもしれないな。
“Andante(アンダンテ)”歩く速さの感じ方さえ一つとっても、昔の自分と今の自分・・・いや、俺と君との間で大きな隔たりが知らぬ間に出来ていたのかと、見えない歪みに胸が締め付けられる感じがした。


演奏には日々の生活が全部反映されてしまうから、ゆとりを持って音楽に取り組まなければならないと常々言われていた。先生が仰っていたように、感情や人間性、演奏者の生き様までそのまま現れるから・・・。
なのにきっと今の自分には、ゆとりが無くなっていたのだろう。






ティーアガルデンの中を歩くこと約30分。森の出口が近づくにつれて少しずつ、木々の合間から見える光が多くなってきた。そして一気に溢れ出した光と共に、ようやく見えてきたのが目指していたシュプレー川。海の遠いベルリンで唯一水の溢れた、俺にとっての憩いの場所。
並木の植えられた川沿いの散歩道まで出ると、川と街とが織りなす景色の前に暫し佇んでいた。


ヨーロッパの人々は、「水際沿いの景色」を作るのが上手いと思う。俺もそうだが水を見ると人の心は潤うもので、その水際を人々が憩える空間にしているのだ。シュプレー川添いの景色、湖沿い、街を縦横に走る運河沿いなど、周りの景色を含めた全体を計算に入れて一つの“絵”を作っている。
クラシックなゴシック建築と近代的な建物や緑の森を、川を中心としていつもと違った角度で眺めるのも楽しいものだ。


ヴァイオリンケースを静かに足下へ置くと、川沿いの柵に両手を置いてゆっくり握りしめた。肘を乗せて自分の体重を預けるようにもたれかかり、川からの風を受け止める。
すぐ目の前に広がる大きな川の流れに身を浸すように、じっと川面を見つめた。


陽の光を受けてきらきらと輝き、風を受けて揺らめく水面に吸い寄せられるようにじっと見つめていると、時折シュプレー川のクルージング船が賑やかに通り過ぎていく。その度に、水面が魅せる催眠術から冷めたようにハッと我に返る始末。そんなやりとりを数度繰り返した後、片手で前髪を掻き上げつつ大きく溜息を吐いた。


俺は気晴らしに来たのではなかったか・・・・?


自分が可笑しくて、苦笑を通り越して思わず笑いが込み上げてきそうになる。
掻き上げた前髪をくしゃりと握りしめて俯いた身体を起こすと、くるりと背を向けて寄りかかった。
少しだけ川へと仰け反るような形になり、視界いっぱいに写し出されたのは、秋特有の高く透き通った青空。
柵に背を預けたまま腕を組みながら、流れる雲を眺めていた。


「純粋な気持ち・・・か・・・・・・」


『純粋な気持ちで自分自身に向き合った時、音楽はひとりでに歌い始める・・・』
学長先生が最後に仰って下さった言葉を、噛みしめるように反芻していく。
何度も、何度も・・・自分へと問いかけるように・・・。
OFFの時にあってレッスンや公の場での演奏には無いものがある、という先生の言葉も、言おうとしてる意味はきっと同じなのかもしれない。全ては自分自身に繋がっている。


純粋な気持ちで音楽を奏でる事ができる人物とは、才能ある天真爛漫な人物か。あるいは人生をかけて経験を積み、自己探求を重ね、自ら純粋な気持ちに辿り着けた人物のどちらかだろう。
学長先生や香穂子は恐らく前者の方なのだろうと思う。
特に香穂子は全くの初心者なのに、ファータに見いだされ、魔法のヴァイオリンを与えられた。結果的には彼女自身の努力によるものだが、やはり音楽を奏でるに必要な“素質”が元からあったのだ。


確かに、自分は純粋な気持ちで音楽を奏でることを忘れていたように思う。
追い求めるばかりでヴァイオリンが好きだと、楽しいと感じたことはここ最近は無かったかも知れない。


誰しもが腹黒く自己中心的な欲求を持っている。周りの人よりも、自分が優れている事を立証したいと。
言い換えれば周りの人の自己中心的な考えが、自分の落ちぶれを密かに望んでいるかも知れないのだ。
プロの演奏家の養成所ともいえる音楽大学の中では、それはまるで音と音を通した、力と力の駆け引き。
楽しむばかりでは駄目だと、知らずしらず抑え込むうちに次第に忘れ、歪んでしまった気持ち・・・。


いろいろと押さえてきたものはある。
音楽を楽しむ気持ち・・・それだけではない。何よりも香穂子に会いたいという気持ち・・・。
でも、つまらない自分の意地からあえていろいろと理由をこじつけて、見ない振りをしてきた。
本当は彼女の気持ちにはずっと前から気付いていたのに、強さと優しさに甘えて。
一つ掛け間違えたボタンが全てずれていくように、音楽のため君のためといいつつ結局は全て空回り。
音楽にも君との間にも、確かに歪みが生じ始めていたのだ。
一体俺は、今まで何をやっていたのか・・・。


このままでは本当に壊れてしまう・・・音楽だけでなく、俺も・・・君も。
音楽は大切な君を悲しませる為のものではない。まして自分自身を苦しめる為のものでも。


今まで押さえてきたのが間違いだというのなら、いっそもう押さえ込むのは止めにしよう。
どうなってしまうか分からない未知の自分に不安と恐れを感じる程に、それはとても勇気のいる事だけれど。
自分自身に目を向けて、本当に望む気持ちから目を逸らさずにいよう。
心のままに・・・素直に生きると。





寄りかかっていた手すりから身体を起こすと、手を組んで腕を前に出し、思いっきり伸びをする。
重く固まった身体がほぐれて、もやもやしていた心の中まですっきりしたように感じた。
伸ばした右腕のジャケットからちらりと見えた腕時計が、太陽の光を浴びて一瞬光り、語りかけるように大切な約束を呼び覚ます。


「そうだ・・・時間!」


時計の表示する時間と日本との時差を頭の中で計算して、遠い日本にいる香穂子に想いを馳せる。
昨晩もらったメールによれば、もうそろそろ本番の時間が迫っている頃だろうな。
香穂子がヴァイオリニストとして初めて挑むコンクール。本人は国内の小さなものと言っていたが、聞いた名前は歴史と権威のある、新人の登竜門的な舞台であることに間違いない。
きっと今頃は舞台裏か控え室で緊張しているかもしれないと、香穂子の様子が目に浮かぶようだ。


側にいてやれないのが残念だが、せめて不安と緊張が解けるように。そして遠回りをしてしまったけれどようやく気付いた想いを音色に託して、君に届けよう。
ここにはもちろんいないだろうが、ファータの力など借りなくとも、今ならきっと君に伝えられる気がする。


ケースからヴァイオリンを取り出して準備を始める。気持ちを落ち着けて、まずは響かせた一音が揺るぎないものだと確かめてから、Aの弦から順に調弦を始めて全ての弦を整えた。


ヴァイオリンを構えて静かに目を閉じると、弓が弦に降ろされた。
目を閉じて自分の内面を見つめながら、不安に先走らないように、この場所この瞬間に意識を向ける。


弓とヴァイオリンの穏やかな一体感。解け合うデリケートな接点。
右腕から伝えるのは想いの強さ、左手のヴィヴラートからは溢れる感情を。


弓が呼び起こし弦がそれに答えるように、両方のテンションが高められた時、音色に生を与える事が出来る。
「ひとつの半分にしたもの」と言われるように、人間の場合も同じなのだ。
過度に攻撃的なボウイングからは楽器の反応を殺してしまうし、力のない弱々しい弓使いでは楽器の反応を引き出すことができない。ましてや離れていては音さえ生み出せない。
俺も君も、二人で一人・・・。


大きなシュプレー川の流れに乗せるように川へと向かい、深く甘く優しく奏でられる音色から伝わるのは、まさに“音色”・・・音の色・・・・・・。
月森の音楽に対する深い理解と共に、気持ちが温かみとなって音色に染み渡る。
正確に弾くだけでなく、音楽に月森自身の想像力と想いを上乗せする事で、よりカラフルに鮮やかさを感じ、活き活きと歌い響き渡ってゆく。


この川はやがて海に注ぎ込まれ、香穂子のいる日本へと繋がっている。分かれた川がやがて一つになって大海原に注ぎ込まれるように、今は分かれた互いの道が一つになるようにと願いを込めて。
いや、きっと一つにしてみせる。





君が、好きだよ・・・本当に。
この音色が、届いただろうか・・・?